元気日記

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2006年3月30日

土井たか子を支える会☆ファイナルパーティー

母が、「土井たか子を支える会」に入っていたため、今日のファイナルパーティーの開催を知ることができ、参加の機会を得ました。
近くに住んでいながらも、また、同じ仕事を選んでいながらも、なかなか時間を共にする機会の無い母と、久しぶりに親子水入らずの東京旅行です。
同じ新幹線に乗り、同じ部屋に泊まり、普段お互い独り暮らしなので、とても安心感の漂う空間に身をおいた気分です。
そして、お互いに、「もう、土井さんにお目にかかれるチャンスは今までのようには訪れないのでは」という想いから、「ファイナルパーティー」という大切な時間をこれから迎えるんだという準備に準備を重ねた旅路でした。
会は、代表の吉武輝子さんのお話で始まりました。
吉武さんの土井さんを見つめる目が私は大好きです。
愛おしさとねぎらいと敬意とたくさんのモノが集められた視線が、どんなに政治家としての土井さんを支えてきたのだろうと思います。
私は、母が91年の統一地方選挙で、まさに土井さんが社会党委員長の時に「長久手町議会議員」として初トップ当選を果たした時に14歳でした。
その時から、政治家にとっての何よりの財産は、この、『信頼のまなざし』なんだろうなあとずっと肌に感じていました。
政治家本人の努力や才能、素晴らしさと共に、その人に寄せられるまなざしで、その政治家の素晴らしさは何倍にも輝きを増すと思っていました。
会場には、そのまなざしを発するたくさんの人で溢れていました。
そして、土井さんのお話が続きました。
「言葉を大切にする」ということの意味
「自分の暮らしはいつも憲法の中にあった」こと
「支える会」は、自分が頼んでつくってもらったのではなく、「今、はじまります女たちの政治」としてそれぞれの人が自分の問題としてとらえて集った会であるということ、
「議員活動は終えても、政治活動はこれからまだまだ続けていく」こと、
前から2列目の席でじっと聞きました。
その後、歓談立食の時間になり、参加者からのリレートークの時間に、池田香代子さん(『世界がもし、100人の村だったら』などの著作で有名な)の後に、私も3分間の時間を与えていただくことになりました。
伝えたかったことは、紛れもなく、私は母の活動を通して土井さんに出会え、政治に出会えたとのだけれども、2世としてではなく、自分の意思としてこの道を決意したということ、そして、私も母も土井さんも24歳ずつ離れた辰年生まれなのですが、土井さんから発せられた『女性の政治参加』の道は、その先に、私たち『若者の政治参加』の道をつないでくださっているということ、『あなたの蒔いた種子は、わたしです☆』という想いを一人一人が抱いているのだということを感じてほしいなあという想いです。
会の最中に、土井さんの愛用品のオークションがありました。展示品にそれぞれ落札希望価格を書いた用紙を投入し、定刻になったところで発表があります。
一番高い値をつけた人が落札し、その代金は、『アジア人権基金』に寄付されます。
その趣旨への賛同と土井さんへの憧れを込めて、わたしは2点に応募しました。
期待していなかったけれど、何と、1点落札できたのはとても嬉しい体験でした。ただし、持ち帰ることを考えていなかったので、少々大変でしたが、喜びが勝りました。
全国から駆けつけた初対面の方々とも、その人柄が成せる暖かい空間が在りました。
気持ちがあっても、時間やお金やいろいろな状況が整わないと来れない訳で、その意味でも、この場に参加できたことに感謝したし、大切な時間となりました。
母にとっては同期のお友達にも会えたり、私にとっては日頃全国各地に散らばっている青年党員の仲間と会えたり、また、母がどんな人たちと共に活動してきたのかという空気を感じられたことは、家族である私にとってもまた幸せなことでした。
その後、福島党首と朝日新聞コラムニストの早野透さんと共に、青年の仲間数人と歓談しました。
そのお店では、若いお客さんたちが、党首を発見しては声をかけ写真を撮って『憲法を護って下さい』と。
久しぶりのアルコールも力を貸して、とても気持ちのよい一日でした。

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