元気日記

元気日記

2006年9月5日

離党1. なぜ、離党して地方政治をめざす事にしたのか

2006年6月5日、私は社民党から離れました。
 この3年間、地方議員として、議員活動と共に、党員としての党活動を「社民党愛知県連合に所属」して取り組んできました。
 私はまだまだ党歴は浅いのですが、目的を常にしっかり確認しながら自分なりに考えを持って関わっていこうと思っていました。
 党活動を通じて市民のしあわせに還元されるような活動をしていく事が私なりの目的でした。
 市民にとって、「政党」の印象は「こうあるべきだ」と自分たちの価値観を押し付けるというものとして理解されているように感じますが、身近な地域生活の中で、市民生活の中での課題や市民の感覚をまっすぐ受信し、めざす社会像や理念でお料理して発信していくことで市民の皆さまに共感をしてもらえるような活動をしていきたいと思っていました。
 よく、地方議会に居て「政党」は関係ないのではないか?と問われる事があります。
 そんな時は、「自分の家の前だけ掃除していても、風でゴミが舞い込んできたり落ち葉が飛んできたりする」ように、社会は尾張旭市だけで完結するものではないから、国や世界の在りようにも視野を持ちながら政治に関わりたいというスタンスを伝えていました。
 しかし、その思いとかけ離れた党愛知県連合の運営に対して、地域の先輩党員と何度か変革を求め党の県連合大会でも発言をしてきたのですが、組織という大きな壁を私は動かす力がありませんでした。
 私は、毎日出会う全ての人とつながりたいと思って活動しています。
 異なる主義主張をもち、異なる政党を支持している人もまた、私たちが「市民の皆さん」と呼びかける市民の1人であることを忘れないようにしようと思っています。
 ある日、「相談したかったけれど、政党に所属しているので、声をかけるのに勇気が必要だった。」という市民の方に出会いました。市民の皆さんにとって身近な存在でありたいという私の想いとは裏腹に、「政党に所属している」ことがとても大きなハードルになっていることに触れました。
 「知らない、わからないことは、いつまでたっても改善できない。」
 市民の皆さんの暮らしの現場を理解できなければ、どのような場面で不具合を感じていらっしゃるのかを、まず、知ることができなければ、私の仕事は成り立ちません。
 心の中では、社民党が掲げる理念は大好きだけれど、「政党」という看板にハードルがある事を残念に思った出来事でした。
  いろいろ悩みましたが、もっと多くの市民の皆さまと交流し、声に耳を傾け、想いに寄り添いたいという自分の政治活動の原点を大切にするために、「政党に所属する」という看板を降ろすことにしました。
 看板は外しましたけれども、私は「平和・平等・自由・共生」を掲げる社民党が嫌いになったのではありません。
 市議会議員として、アンテナを高く、目線を更に低くして、受信して、市民と共に歩む翼を広げたいと思いました。
 最近、環境を考える時に「Think Glovaly,Act Localy(地球規模で考えて、地域で行動する)」という言葉が使われていますが、政治も同じで、私はこれまでと同じように、平和・自由・平等・共生という価値観で地球を見て、尾張旭市(および市議会)という地域で行動していきたいと思います。
 多様な個人がいる中で、個人のしあわせ追求のためにも「人の尊厳」や、持続可能な社会を実現するために、「環境」やその前提にある「平和」の持続は、尾張旭というフィールドで個別具体的な課題に還元する際に、その背骨としてあればいいなあと思います。
 「政治」を堅く語ろうとか、自分をPRしようとかではなくて、単純に、色々な立場の人の考えに触れたいとか、一緒に生きていく世代の人とたくさんつながりたいとかが動機です。
 同世代の人と、何気なく「社会と関わって生きているんだなあ。。。」というような日頃の井戸端会議をできるように、これからも試行錯誤していきます。

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