元気日記

元気日記

2005年8月29日

明日から総選挙本番開始☆

衆議院が解散してから、更新が滞っていました。すみません。
この間は、急な解散でしたので、私の母である元・衆議院議員 大島令子が社民党比例東海ブロックの候補者として準備を進めるお手伝いに力を向けさせていただきました。
比例区候補者ということで、東海ブロックの4県下(愛知・岐阜・三重・静岡)で個人名ではなく「社民党」という「政党名」を書いてもらう選挙戦を闘います。
前回までお世話になった、愛知7区の皆様、そして、大島令子をご支援くださっている東海4県の皆様、大島令子へのご支援は「社民党」と、「政党名」でお願い致します。
法律で、選挙中はホームページの更新ができないそうです。(候補者のみ?)
明日からもドタバタの選挙活動が始まると思いますが、やはり、前夜の今日の気持ちをと思い、書きます。
私は社民党の地方議員として活動しています。
昔大きかった社会党の理念を引き継いだ社民党ですが、現在の党勢は、決して芳しいものではありません。
それでも、自分が社民党に所属し、また、この選挙で再び社民党が前進して欲しいと願っている理由をあらわす言葉をずっと探していました。
政治は何のためにあるのか。
政治不信をぬぐうには何ができるのか。
そのために、私は何故社民党なのか。
まだまだ成長過程ですが、この3週間の紆余曲折を経て考えました。
☆私の考える《政治とは》とは。。。
人と信頼関係を当たり前に結んでいく人生でありたい。と最近つくづく思います。
この仕事をする者の最低限最大の努めはそこにあるような気がします。
どんなに政策を並べても、それをするのは「人」であり、それをする「人」を選ぶ選挙が明日から始まります。
謙虚になれなくなったり、人と共感を共有できなくなったら、政治は無意味なシステムに成り下がる気がします。
「信頼」は一朝一夕に結べません。だから、日々の活動の中で誠実でありたいと思っています。
それでも、「能力があって不実」なのも、「誠実であるが能力がない」のも、結果として同じく不幸であるという言葉があります。ある韓国ドラマの忘れられない場面です。王の病を治すのに、不実な能力者は、治療より陰謀が優先し、誠実だが能力の足らないものは、治療することができず、結果としてどちらも王を助けることができないというものでした。
「政治が人の命を、人生を左右する」からこそ誠実であり、また、力を磨かなければなりません。
☆私が《社民党》でいる理由。。。
私は、社民党の掲げる理念が大好きです。
社会民主主義を語るには勉強不足ですが、私の中では、何でも2階建てのイメージです。
資本主義のいいところは認め、でもそれは例えれば2階部分であり、それだけでは不安定だから、1階部分(福祉や社会保障)があるのだと。
私はまだ若いから元気です。でも、年をとったり、事故にあったり、いろいろな理由で「助け合い」をリアルに感じながら生活をする場面もいつ訪れるかわかりません。
この仕事についていなくても、人には誰でもそれぞれ自分の生活場面で「私」の部分と「公」の部分があると思います。その「自分」を生きるときのポリシーにしたいことが、社民党の精神にはたくさんちりばめられているように思うのです。
当たり前に「他者」の存在を感じ、1人で生きていけないんだっていうことを冷静に受け止めるから、多くの人とつながりたい、仲良しでいたいと思うのだと思います。
1人で生きていけると思っている人は、他社の存在や他者の行為によって世界が形成されていることに無関心なだけで、そのことに気づいたら、もっと他者に関心を持つ人があふれ、他者の置かれている境遇にも共感や逆に胸を痛めたりすると思うのです。そんなWIDEな視野で環境や平和や貧困問題を考えられるのが社民党で、その共感や課題への対策として湧き出たのが社民党の政策だと思います。
社会党が、民主党と社民党に分裂した(表現が間違っていたらごめんなさい)とき、社民党に残った人たちがどうしても譲れなかったものって、憲法9条なのだと、先輩たちと話す中で感じています。
平和とか戦争を語るとき、戦争体験者である先輩たちには、経験としてツーカーで通じるけれど、私のような戦後世代は、どのようにリアリティーを持って、社民党の平和主義が語れるのだろう、伝えられるのだろうと、ずっと考えてきました。
私の育った時代には食べ物も、空からミサイルが落ちてくる心配のない空もそろっていました。それでも、心の中に平和のとりでがあったかというと、必ずしもそうではありません。
この社会の中で、立つ位置によっては、立場によっては、自分の譲れない線を譲ってでも、立場をまっとうしなければ、自分の居場所を失ってしまう。だから、善悪ではなく、その「場面」での最善策として、倫理上「悪」なことでもしなくてはならな
い社会状況があると思います。
例えば戦時中、殺すか殺されるかの時代には、殺人すらも必要悪として、仕方がないことになってしまう。
学校の中のいじめや、行き場がない年間3万人といわれる自殺者も、残念な社会の帰結だと思います。
人が生きていく中で、少なくともそれを「選択」しなくていいような社会が「平和」な社会であると思います。
だから、理想論としてではなく、人が殺しあうことを「選択」しなくてもいい社会状況を築いていくことが、超現実的手段として平和憲法であり、平和主義であると思うのです。
武器に頼らなくてもイイ社会を目指すことのどこに欠陥があるのか判りません。
母は、演説の中で引用します。「武器のない時代から戦争はあった」という言葉を。
私は、毎日出会う全ての人とつながりたいと思っています。
そして、自分の主張や社民党だけが絶対正しいと思わないようにしようと思っています。
異なる主義主張をもち、異なる政党を支持している人もまた、私たちが「市民の皆さん」と呼びかける市民の1人であることを忘れないようにしようと思っています。
他者を理解したい、異なる意見を認める、多様な価値観を認める、そう謳っている人たちが、「そう思わない人」という他者を排除しようとしていることに気づかないことのないようにと思っています。
市民の1人として暮らしていると、いたるところに「平和」を「大切」とするコピーはあふれているのに、政策として語った途端にそっぽを向かれてしまう。
そこに、どんな「バカの壁」が存在するのだろう。
そんな風潮の中、自分の言葉で、まずは身近な友人に対して堂々と、説得力を持って語れる、伝えられるようになりたい。
選挙戦、12日間を糧としていきたい。
本当の意味で、「市民の目線」になるために、自分も「市民」の一人として「敏感」に選挙戦に関わっていきたいと思います。
そして、9月議会にも。
決意☆大島もえ